今はめったに聞かれなくなりましたが一昔前は良く聞かれたものです。「竿竹ー」リアカーに竿竹を積み売り歩く小父さんがいました。当時多くの家庭では,庭の2本の柱に竹竿(枯葉を取り除き作った竹の棒)をかけ渡し,洗濯物を干しました。今では各家庭に庭が少なくなっているので,物干しのある家庭は殆ど見なくなりました。今は錆を避けるため,アルミの竿を使っているようです。竹竿は現代の普段の生活では出番がなくなったようです。
「金魚ー」「豆腐」等の声も聞きました。スーパー等がなかったので物売りが来ると家事で忙しい主婦達は喜びました。今では自転車のお蔭で簡単に買い物に出かけられますのでこのような物売りは必要ではなくなってきました。ですが長閑な住宅地に物売りの声が聞こえるのは穏やかな家庭を想像させて良い物でした。それぞれの物売り達は特徴のある声で未だに心に残っています。
『物売りの声』という寺田虎彦の印象深いエッセイがあります。文明が発達するに従って滅びてゆく景色があるのですね。
昔はあった店がなくなっています。「炭屋」がありました。火鉢に使う炭、練炭などを売っていました。つい最近火鉢の火が懐かしく炭と灰を買いたくて炭屋に行ってみると火鉢用の灰も炭も既に販売されてはいませんでした。火鉢は骨董店でしか見なくなり時代が変わったのです。「灰が欲しければ葬儀屋に行けば」と言われました。今はプロパンガス等の注文を受けているようです。
「豆腐屋」も少なくなりました。最近まで朝早くから店を開け豆腐作りに精をだしている豆腐屋がありました。ご主人の手は冷たい水で赤くなっていました。店の若い衆が出来立ての豆腐やがんもどき入りの箱をリアカーに積み「豆腐ー、豆腐ー」と売り歩きました。時にはラッパを吹いて近所にPRしました。いまではその店も閉じてしまいました。朝早く出来立ての豆乳を買ったのはついこの間までです。地元で手作りの豆腐を作る店も絶滅危惧種です。
「煎餅屋」も消えてしまいました。お婆さんが店に座って煎餅に刷毛で何度も醤油を塗っている景色も見なくなりました。今ではスーパーでは工場生産の袋入りのお煎餅が出回っています。
手作りの「おでんの具」を作り売っている店ももう見当たりません。つみれ、がんも、大根、煮昆布等、皆どれも美味しく店の味を出していました。それぞれの店の味なんて無くなり一律化してしまい寂しい限りです。
「下駄屋」もありました。今では下駄を履かなくなりましたが一昔前は家では下駄を履いていたように記憶します。裸足の足に下駄を履き軽い音を立て歩くのは心良いものでした。鼻緒が切れたら店で直してもらいました。今下駄はデパートの履物売り場でしか探せません。下駄の風習も残しておきたい。健康には窮屈な靴よりは良いのですから。
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