今朝も食堂で「朝一では紅茶が欲しい」と思ったが、ここで供されるのは煮出した茶色の番茶のみ。これはどの特養でも同じみたい。せめてお茶位は好みの物を頂きたいが・・・お金があればアールグレイでもオレンジペコでも買えるのだが・・・我慢するしかない。こんな小さな拘りが積み重なって溜まりストレスになる。昔の我が家でのお茶会の楽しさも忘れられない。友達との思い出話がテーブル越しに飛び交う。
食器に至っては絶望的。施設に入れば集団生活だから好みの食器(若い頃随分とあちこちで探し集めた)なんて使えないし持ち込めない。だから思い出して「あのお皿・茶碗・カップ・箸等」と懐かしむしかない。入居の際、大好きなティ―カップとお皿を持ち込もうとしたが、これはダメと没収されそうになったので「これは宝物だから」と必死に抵抗して本箱に隠すしかなかった。
身に着けるものだってこのブラウスにはあの色のセーター、あのスカーフ、あのブローチ・指輪等拘りがあった。
今の部屋(自分の部屋と言えるかどうか・・・)も絶望的。昔の実家の家具は引っ越しの際、総て破棄してしまった。あのソファも、テーブルもあの花瓶もテーブルクロスもあの棚もあの額もあの絵も思い出すしかない。今ではもう幻でしかない。
本だって沢山あった。読みたい時にいつでも手に取れた。今はこの部屋にも持ち込めない。大きな施設なら叶う夢。
施設暮らしの前は毎日買い物に出かけた。社会勉強にもなると思い細目に店の商品を眺めたものだ。旬の野菜・果物を手に取り選ぶのが楽しかった。新鮮な物には視線が止まったし、香の良い果物はすぐに買い味わった。東京の店に出る前に現地で味わうほうが遥かに良かっただろう。でもそんな事は物理的に無理だった。ここでは拘りはソコソコですんだ。余り拘り過ぎると辛くなるのも避けたかった。
今は実家を離れての施設暮らしも6年目、随分と慣れた。拘りって気分の贅沢と思うようになり、拘りって個性・生きる欲望なんだが無個性になるのも悪くないと思うようになったから。このまま透明になってこのままあの世へ行ければって思う。

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