気候変動の影響で、思いがけない時に大雨が降ったり、風が吹いたりと災害が多い。今までの所東京は幸いな事に、被害はまだ軽いが、もし災害が能登のように大きいものであれば、自分はどうするのか?と考えると不安になる。普段は余り、地区活動に参加することなく、むしろ仕事(大学での時間講師)に時間を使っていたので、ご近所さんとの交流は殆どなかった。買い物で会ったりすると軽い挨拶位で、立ち話などはしなかった。昔の母だったら、気さくに噂話などして、ご近所さんと話込んだだろう。人それぞれだから、敢て親しくしようとは思わなかった。ご近所さんと言っても数人。道で会うXさん、Nさん、後は買い物で顔見知りの方。「どこどこの店の○○は安い、美味しい」等。互いに其れ以上は話さずにすんだ。互いに助け合うという風潮もなかった。だからご近所さんは単に近くに住んでいるという風であった。昔は垣根がほとんどないに等しかったから、互いの家が見えてしまうこともあったし、なんとなく互いに分かっていた。そんな気がしていた。
ある日、私が買い物から帰ると、いきなり自転車が倒れて、私は自転車の下敷きになってしまった。足腰が弱っていた私は、自力で起き上がれなかった。丁度隣のYさんが通りかかり、転んでいる私を助けに飛んできてくれた。車の下で、虫けらのように倒れている私を抱き起こしてくれた。恥ずかしいのと済まない気持ちで、へこんだが仕方なかった。かと言って、特に何をするでもなく時は過ぎた。
そのうち、私は心筋梗塞で倒れ、救急搬送され、病院、施設を巡るしかなかった。今考えるに、もし災害(地震・火事・水害等)があったら、避難所でお世話にならなくてはならないだろうから、少なくとも「変人」と敬遠されたリ・疎まれたりはしたくはなかった。能登の災害は、まだ落ち着いてはいない。仮設暮らしはさぞ辛いだろうと想像する。だがいつ来るか分からない災害のことを、あれこれ気に揉むのも可笑しい。友と(ケ・セラ・セラ)と笑うしかない。
人は独りだけでは生きてゆけない。互いに出来る事をして行くしかない。金持ちになりお金で解決できることはいくらでもしよう!そう思うだけ。
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