あの世へ旅立つ前に逢っておきたい人はいますか? 不思議な事に私にはいません。会って別れるのは極当たり前で自然な事ですから、いつも別れはすっきりしていました。別れたくて別れたのですから。でももし逢えたら逢って思い出話をしてみたい。どんな思い出になっているのかを確かめたいので。
大学院時代、考古学研究所のガラス越しに見えた背の高いその人はテーブルの上の何かをしきりにのぞき込んでいた。ある日意を決してガラス戸を開け中に入ってみた。「いらっしゃい!」飛び入りの客に対するような挨拶。「のぞいていいかしら?」「どうぞ、どうぞ」何でも考古学研究で今度近いうち与論島に発掘に出掛けるそうでお仲間たちと話し合っていたようなのだ。丁度その頃英文科に在籍していた私は文献学的な研究で辞書を頻繁にひかなければならず密かに「こんなはずではなかった」と自分の研究目的を見失いかけていた。ここで「野外での発掘」なんて聞くと「自分も野外で研究」したいなんて思い始めてしまった。それで彼が嬉しそうに眼を輝かせて「考古学って大変なんだ。旅費は自前だしお目当ての物に出会えるかも分からない。でも小さな破片でも見つかるとそれは嬉しい」そう。生き生きと嬉しそうに話してくれるその人が忘れられなくなった。縄文土器の研究に夢中になっている彼は損得なしに「好きだから」と我が道を歩んでいる。今思えば考古学で身を立てようなんて無謀と言えば無謀。大学院で学位を取っても就職口が簡単に見つかるわけではないから。多分暫くはバイトでもして研究費を稼ぎ運が良ければ論文発表し考古学会に業績を残すしかないのだ。若く体力のあるうちは夢を見続けれることが出来る。その後は自分の想像範囲を超えていた。その頃私は将来の自分のことなど考えてもみなかった。ロマンチストで話にならなかった。彼の無邪気さ純粋さに恋をしてしまったらしい。
ある嵐の吹きすさぶ晩、雨風の音を聴きながらに私は手元にあった粘土を取り出し一つの土器を作った。陶芸をしていたので粘土でイメージにある縄文土器を作った。思いの外見事。降りしきる雨の音、雷もその土器の誕生を喜んでいるようだった。ある思いが形になった。その土器は大事に箱に入れて押し入れにしまった。なにかのきっかけでそれを彼に見てもらったことがある。「すごいね!」と驚かれて単純に嬉しかった。ある日考古学の部屋に助手の方だけいらしたので密かに彼の事を聞いた。「何曜日に来るの?どこの出身なの?」等。彼にはフィアンセがいるらしいのが話ついでに分かった。恋は一片に覚めた。「自分は自分の道を忘れてはいけない」と冷や水を浴びせられたように我に返った。彼と一緒に発掘に行く夢は覚めてしまった。こんなにさっぱりと忘れるなんて、でも数カ月は彼のことばかりだった。若い頃しか出来ない初恋。
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