チョコレートが危ない!

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チョコレートの原料であるカカオの実が、温暖化の影響で品不足だそう。

カカオ不足の原因には、次のようなものがあります。

異常気象による不作
 カカオは、平均気温27℃以上、湿度が70%~100%、年間降雨量が2000mm以上という限られた環境でしか栽培できない。西アフリカのガーナとコートジボワールが、世界で流通するカカオ豆の約6割以上を生産しているが、近年は、異常気象による大雨や干ばつなどの影響で、収穫量が落ち込み、3年連続で供給不足に陥っている。
カカオの木の老化
  これは言わずもがな。
貧困と低賃金労働
   カカオ農家の収入は低く、生産者価格は末端価格の6%程度と言われている。カカオ栽培には児童労働の問題もあるし、又、金鉱屈等の影響で、カドミウム等の重金属が畑の土に基準以上に含まれているといった地質上の問題もある。又、カカオ農園への転換のため、森林を切り開くなど森林破壊も問題になっていたりと問題は、かなり複雑である。不作の大きな原因の一つには、木のウィルス感染がある。この「カカオ腫脹性シュートウィルス」は、昆虫により媒介され、茎の腫れなどが特徴で、この病気は、カカオを供給する国々で、何年にも渡って生産を妨げてきた。この致命的な病気と闘うために、生産者は病気の木を根こそぎ取り除去し、代わりの木を植えなければならない。カカオの木は植えても花が咲き実がなるまでに、3~4年と時間がかる。   

    このようなチョコレートの原料のカカオの緊急事態を知ると、いよいよ温暖化、気候変動をなんとかしないと、チョコレートが地球から消えてしまうかもしれないと、心配になる。日本の風土に合う品種が改良されれば、カカオ豆を国産化できるかもしれないと考えていたら、小笠原諸島の母島、沖縄でカカオ栽培を始め、成功した人物がいる事を、ネットで知る。「沖縄ではムリ」と言われた沖縄でカカオ栽培を成功させた異色人物(川井さん)の記事(https://dowellbydoinggood.jp/contents/project/663/)が面白い。日本でもカカオは栽培出来るなら、応援するしかない。

チョコレートの薬功には次のようなものがある。

①生活習慣病の予防:カカオポリフェノールには抗酸化作用があり動脈硬化・高血圧などの生活習慣病の予防。
②老化防止:カカオポリフェノールには老化防止にも効果あり
③アレルギー症状の緩和:花粉症等のアレルギーを緩和
④脳卒中や心臓病のリスクの軽減
⑤肝臓の健康:肝臓に溜まった脂肪と活性酸素を除去する
⑥血糖値の急激な上昇を抑える
⑦便通の改善
⑧脳を刺激し、認知機能を高める

    去年だか映画『ショコラ』(https://filmarks.com/movies/22092)がテレビで再放映された。チョコレートの魅力一杯の映画、是非探してみて!   

   チョコレートという言葉の由来には諸説ある。語源は、古代アステカ民族の言葉であると言われているナワトル語の”xolli(苦い)+ati2”(水)という意味。当時のチョコレートは飲み物だったことが分る。

   カカオの起源は、紀元前3300年後まで遡る。5000年以上前、カカオは飲み物として摂取されていた。その後、メソアメリカでは、紀元前2000年前に栽培が始まり、オルメカ文明時代に人類初のカカオ利用が行われてた。メソアメリカとは、地理的にメキシコの前半分からグアテマラ、べーソス、エルサルバドルとホンジュラスまでを指す。マヤやアステカを始めととする、高度な文明が栄えたメソアメリカでは、文字体系が発達していたことから、多くの文化の共有も盛んに行われており、その共有の一つとして、カカオの利用があげられ、多くの人々に認識されるようになる。

    16Cに、コロンブスが、ヨーロッパ人として始めて、ココア豆に出会う。航海中にマヤ族の貿易船に遭遇し、カカオ豆を大切に扱っている姿を見かけ、その価値を知る。しかしコロンブスは、インドへの航路探索に夢中であったため、カカオ豆には興味がなかった。フェルナンド・コルテスはアステカ帝国を征服。コルテスは、皇帝が愛用しているチョコレートを、目の当たりにし、スペインのカルロス一世に献上。スペインの王侯貴族に気に入られ、特権階級のものになった。その後、ポルトガルがスペインと一時的に統一されたことにより、チョコレート文化が入ってくる。そこからイタリアと広がり、世界へと広がった。

   日本の小笠原諸島の母島は、北緯26度で亜熱帯気候に属し、年間と通じ夏と冬の気温差が小さいことが特徴。平塚製菓が、2019年には東京のカカオで「東京cacao」を作り、毎年販売されている。

東京カカオプロジェクト」(https://tokyo-cacao.com/story/)は、チョコレート屋のおやじの夢なんです。カカオを日本で育ててみたい、そのカカオでチョコレートをつくってみたいという、いわば私のわがまま。私は経営者ですから、普段は会社の利益率や、現場の効率に頭をめぐらせています。でもそれだけでは、正直つまらない。夢がなくちゃいけません。まわりからどれだけ無謀だと言われても、夢見たことのために工夫し努力する。そうすることで、視野は広がり、知見は深まり、新しい人間関係も生まれます。そして何より、できなかったことができるようになる、わくわく感。若い人にもこの感覚を伝えていきたいなと思います。このプロジェクトを通じて、私の夢は、さらにひろがっています。東京産カカオでつくったチョコレートは、きっと新しい「日本らしさ」になる。引き続き国内一貫生産で世界に恥じない品質を追求していきます。」と平塚製菓株式会社の平塚社長はインタビューで語っている。我々も期待しよう!

日本らしい」チョコレートを!

   チョコレートは、日本の江戸時代に伝わった。1797年の記録に(しょこらあーと)とあり、オランダの商人から貰った品であった。チョコレートが日本に伝わったとされる記録は、明治時代(1873年)、岩倉具視らの欧米視察を記録した『特命全権大使米欧回覧実記』に、フランスのチョコレート工場を見学したという記載がある。大正時代には、森永製菓・明治製菓が創業を始め、カカオ豆から一貫作業によるチョコレートの大量生産が、本格的にスタート。当時は高価な贅沢品であった。昭和になると、チョコレートメーカーの参入が、益々多くなる。各社の製品が、続々市場に流通し需要が拡大、戦前のチョコレートの黄金期となる。生産体制が充実されるだけなく、広告展開、海外進出なども多くなる。1937年には、戦前のカカオ豆などの輸入制限が発布されて、カカオ豆の自由輸入が、不可能になる。戦争が始まると、カカオ豆は指定された用途と業者のみに、配給された。ココアバターは、解熱剤や座薬などの利用としてのみに制限される。気温の高い東南アジアや、潜水艦の内部等でも、食べられるように開発された溶けないチョコレート。食料品として確保できないココアバターの代用品として融点の高い油脂が使用されていた。1940~50年まで、カカオの輸入が止まっていたため、様々な代用品を使ったチョコレート開発が進み、終戦後、チョコレートの製造が再開されたのは、「雑口輸入制」が許可された秋のこと。1952年に、砂糖の自由販売、カカオ豆の輸入自由化が進み、チョコレートの製造が再開され消費は急増。私達は、いつでも自由に好きな時に、チョコレートを食べることが出来る幸せを思う。



   クリスマスシーズンに向けて、各洋菓子店では、クリスマスケーキの準備を始めている。今年は一般的な物価高の影響で、どの店でも、製品の値上げを検討せねばならない。材料の小麦も値上がりしているし、卵も鳥インフルエンザの影響で、高くなっている。チョコレートも値上がりで、今年は量を少なめに使うことを検討しているそう。今までは、チョコレートでトナカイを作り飾っていたのを止めて、ビスケットに変えたりとかの、工夫がされているよう。

   美味しいケーキを口に出来ない子供達も多い。大人たちのエゴで続けている世界中の戦争を早く停止して世界中で聖夜を祝いたい!

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