手書きが滅びそう・・・

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小学校・中学・高校時代は提出物(主に読書感想文)原稿用紙に手書きで書いた。友達への手紙も手書きで相手が読み易いよう気をつけ丁寧に書いた。大学時代もレポートは原稿用紙(400字詰・200字詰め)かレポート用紙に書いた。大学の卒業論文提出の際にはタイプを使った。音が大きく重い機械。このころはインク消し等があり文字を間違えるとそれで修正してなんとかごまかした。

1973~76年の私のイギリス留学時代にはPCなんてなかったから、タイプライターを荷物に積めて持参した。レポート提出に使った。今携帯が万人に行き渡るようになっているが、その頃にはネットもなかったので、実家への手紙は自筆の航空便用紙で書き郵便局で投函して片道約1週間掛かった。計2週間掛かり実家との交信が出来た。新聞も1週間掛からなければ互いの国には届かなかった。瞬時に世界中のニュースが世界を駆け回るなんて誰も予期しなかった。

   パソコンを自分用に買ったのはそれからしばらくしてから1980年代である。もっぱら学生の試験のための答案用紙の下書きをPCで書いた。このころから近くのパソコン教室に通った。余り好きにはなれなかったが書類が綺麗にまとまるので嬉しかったのを覚えている。後は自分の原稿を書く時に使った。そのためか私の手書きの文字はいい加減になったようだ。漢字の書き順なんて意に介さなくなってしまった。書き順というものは師の言う通りに書けば美しくなるものなのに。書き順をないがしろにして見てくれだけの漢字になってしまっている。友達や知人に手紙を出す際には何度も下書きをして少しでも読み易いように気を使ったが練習しても上辺だけの練習なので一向に綺麗には書けず一向に進歩しない。今は有り余る程の時間があるのに手書きは苦手のまま。この苦手意識を克服したいのだが何故できないのか?ある心理というか心の癖のような歪みがあるような気がしている。時間があるのに・・その歪み、癖は自分がせっかちという性格だからか?静かに心を落ち着けて筆を執るなんてもう随分長い間忘れている。ペンを手にすると手が勝手に走り始めてしまう。頭で考えた事を文字にすることに焦ってしまうようなのだ。急ぐ必要は全くないのに・・・メモを取ろうとしても速記のようでほとんど読み直せない。とこれは早く直したい。この心の癖・ゆがみを直したい。いつも平常心で過ごせるようになれれば・・って。どうしても時間に隙間があると、不安に似たある感情が襲ってくる。一人の寂しさ、孤独感。これは誰でもそうだと言える。こんな隙間時間に気付いたら実家にいれば掃除をしたり、庭に出て草取りをしたり、台所に立って料理を考えたり、作ったり気分を変えることだって出来ただろうに・・・そうした事が出来なくなり我が手にも影響が出ているらしい。これは現代病なのかも・・・頭では分かっていても直らないこと、出来ないことがある。

韓国の時代物の映画を見ると主人公達が毛筆で互いに文を認める場面が出てくる。ゆっくり毛筆を認める様子を見ると、こうでなければと思う。しかし中々手の癖は治らない。

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