変わりゆく町

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   成瀬巳喜男監督・松山善三脚本作品『乱れる』(1964年)、をゆくりなくも観る。昭和の生活を彷彿とさせる。彼はわが町の隣町にいて、息子さんが同じ学園の学生であった。黒沢明、市川崑監督も父兄であった。わが学園は東宝撮影所の近くにあったから、当時の俳優・芸術家等が多く住んでいた。三船敏郎、石原慎太郎、坂東妻三郎、司洋子、京真知子等。後に小沢征爾、大江健三郎、武満徹、芥川ひろし、加山雄三等の芸術家達。

   私の家から砧撮影所は徒歩5分位の近かさだったので近所の男の子達と良く遊びにいった。大きな50メートルプールに大きな衝立がありそれには青い空一杯と戦艦の絵が描かれていた。きっと水面に軍艦の模型を浮かべ映画を撮影したのであろう。特撮の技術なんて未開発の時代、『戦艦大和』だったのであろうか・・・遂に当時は映画館に戦争映画を見に行くなんてしなかった。両親は口にこそ出さなかったが「戦争嫌だね」位呟いていた。

我々は幼いながらに戦後の物資不足の苦労を両親の背中を観ながら育った。

   この映画の主人公(高峰秀子)は戦後のある酒屋のおかみさん。わが町(砧)の通りにあった某酒屋は鄙びた田舎にあるような、入口に煙草、仏花、葉書・切手類等を置き、薄暗い店の中には酒・調味料・酒の摘み類など置いてあった。このころ御用聞きがあったので、父は良くビールを何ダースか注文していた。人の好い御主人は住民の生活上の悩みの相談にものり町の皆に慕われていた。

しばらくして町に噂が広まる。「なんでもスーパーのOが出来るそう」「便利になるわね」「寂しいね」等。早々と自分の土地を売り、地方にでも隠居する店もあった。この酒屋もいつの間に閉店して姿を消した。

この映画の主人公は今はこの店の主人(この店の元の主人のお嫁さんで今は未亡人、老いた姑(三益愛子)と店をきりもりしている。兄妹(草笛光子・白川由美)は外に嫁いで店のことは彼女に任せっきり。

ある日向かいの土地に大きなスーパーが出来る。小さな個人の店舗よりは格安で商品を売っている。そんな噂が町中に立った。その新しいスーパーの煽りを受け自分の店に客足が減り、儲けが出ずに悲観して自殺する小売店主もいる。

そんなご時世の影響を受け彼女も決心をする。この店を売りスーパーを経営してゆくことを家族の皆に発表する。その店長には彼女の義弟(加山雄三)をと発表する。そして彼女は自分の故郷に帰りたいと宣言。汽車に乗ると後を追う弟が乗っている。彼は昔から姉を慕っておりそのために本当の自分を見つけられずにいた。姉としての彼女は故郷の駅に着く前に駅を降りある宿屋に部屋をとる。二人は幼い頃の遊び・左の指に紙縒りを縛り付け約束をする。指切りげんまんのようなもの。「明日の朝、貴方はここを出て東京に帰り、スーパーの店長として経営し新しい時代を生きるように」と励ますが、姉の気持ちを理解出来ずに弟は独りで宿を出てある居酒屋で酔い潰れる。そのまま崖まで行き、落下し遺体が運ばれてくる。莚の下から紙縒りを付けた男の左手が・・・それを呆然と見つめる彼女。時代に翻弄された鄙びた町の物語。

   私の町のことのようでもあり、この時代の生活をつぶさに撮った監督の作品を貴重と思いここに書き留める。時代の波に取り残されたある店の物語り。人は変わらないが時代は変ってゆく。

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