何よりも楽しいこと

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介護施設暮らしで最も楽しいことって「友達との会話:お話」かもしれません。特に少年少女時代の友達は無邪気な時代を共有しているので、裏表のない素直だった我が身を思い出せるし、自分が忘れてしまった気持や事柄を、友達が思い出させてくれます。80近くなると、かなり人の心の裏まで見えてしまったり、自分の目・心が意地悪になっていたりして他人の粗が見えてがっかりすることも少なくありません。久しぶりに幼友達に逢うと、素直だった自分を思い出せるので皆で「そんな時代もありましたね」と明るい気持ちになれます。自分の心に残った傷や痛みを時々は禊(みそぎ)をして傷の汚れ・錆を洗い落としたくなります。友達に逢い、話をすれば幼い頃の屈託のない笑顔にも会えるし、明るい声も聞こえます。巷で多くの「クラス会」が開かれるのもこのような理由があるからのような気がしています。人はいつも失われてしまった透明な素直さを取りもどしたいと願うのではないでしょうか?

   ついこの間まで、ある理学療法士のリハビリ担当の女性がいました。週に一回は入居者の皆を食堂に集めて、極簡単な体操を指導してくださいました。皆久しぶりに声を出して簡単な童謡を歌いました。誰もが覚えている歌の合唱は大きくなりました。若い彼女のきびきびとした動きに誘われて御年寄り達も少しは元気になるようです。天気の良い日には施設の建物の周囲の廊下を車椅子を押して日光浴をさせてくれました。「今日は富士山が見えるのであそこまでいきましょう」と誘ってくれる時もありました。猫の額ほどの庭にも連れて行ってくれました。ローズマリ―やタイムなどのハーブも生き生きと育っていました。余り手入れされていないけれど緑の草や灌木が育っているのを目にすると、元気になるようでした。ポツリポツリと話をしてお互いに心を通わせて、ここでも話ができる人がいてくれると思うと嬉しくなりました。

   話が出来る人、話して気持ちが楽になれる人がいてくれると集団生活もまんざらでもなくなるようです。彼女がいてくれるので、毎週土曜日が楽しみになりました。世の中のことや、思うことを遠慮なく話せる人が身近にいてくれるだけで嬉しかったのです。しかし、ある日彼女が「私、ここを卒業して・・・・に行くことになりました。「まだ誰にも話していないけど・・・」と打ち明けてくれた時、「貴女の人生だから、未来の貴方を応援しています」って、その日以来彼女の姿はこの施設からは消えてしまっています。寂しくなりました。晴れた朝には窓の外に広がっている青空に、「今日も行けなくなったの」彼女がいないから・・・何の変哲もない退屈な日々を生きてゆくのは結構しんどいです。少しでも話が出来る人がいてくれると嬉しいのに。これほど話が出来る人がいてくれたらと願うことは今までありませんでした。時々彼女は今どこにいて、何をしているんだろう?って思います。以来リハを担当してくれる職員は公募をかけても人員不足のため現れません。

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