最近、異文化の人と日本人との摩擦・誤解による事件の報道が多いような気がしている。この数年で世界の人々の交流の様も大きく変化してきている。交通量も手段も数年前と比べると格段の差がある。移民達も国境を越えて自国の文化・風土を離れ他国へ逃れ、移住しようとする。
自分は日本が自国であり、幸運にもここを離れる理由も希望もないが、一刻も自国の社会・政治・宗教等から逃れたいと願う人々が大勢いる。日本の中でも、ある地方から他の地方へ逃れたい、逃れる必要があるという人達もいる。例えば被災地(能登・岩手・青森・福島等)を逃れて、より気候の良い所、原子炉のない場所等)に移ろうと考える人もいる。自国を離れて他国で生きようとするには、その土地での生業がなければ生きて行けない。仕事を探し、見つかっても職場の人間関係に馴染めない・落ちつけない。何故なら異文化だから。矢張り「郷に入っては郷に従え=When in Rome, as the Romans do」と言う諺があるように、他国の文化に謙虚になる必要がある。もしそれが納得いかないとしても、自分りなりに折り合いをつけなければならない。それが出来ないとなると異文化はいつまでたっても疎遠になってしまう。どちらかが優れている、あるいはこちらが正しいはなく、両方とも正しく優れているのだから。恐らく「共生=coexist」という言葉が正しい。お互いにお互いを認め合う。ここには闘いはない。「両方とも貴重、かけがえがない文化なのだから」
例えばイスラム教徒の女性達は”ヒジャブ“という被り物を頭にかぶる。これはイスラム教徒達にとっては宗教上の理由で「女性達は他人に肌を見せてはならない」と決められているから守らなければならない戒律なのだ。宗教上の決まりに「何故?」は許されない。仏教のお坊さんは何故袈裟を着るの?という疑問と同じ。
最近日本にもイスラム教徒の数が多くなった。介護、医療、保育、スーパー、コンビニでも、道路工事、流通関係の職場にも沢山のイスラム圏からの労働者達を見かける。日本で働くイスラム教徒達の多くは、日本語もかなり流暢だし、入国前に日本語を習得しているので大方の日本語は使える。
この(ヒジャブ)を職場で、「外す」ように言われたとしたら、働く目的で来日した従順な彼女達は無理なく受け入れるだろうか? 今までお世話になった施設でも多くのイスラム圏の女性が働いていたが、皆ヒジャブを付けていた。宗教は自由だから当然だが、たまに外すよう通告を受ける場合もあるらしい。しかし人権問題が当たり前になっている昨今の民主主義国家では、付ける・付けないの問題は時代錯誤ではないか? 多分、他にもこうした理解不足・誤解が起こると思う。それぞれの職場でお互いに両方を認め合う心が大切ではないではないか?特に人材不足が著しいわが国では、これからも外国からの働き手にお世話にならなければならないのだから。異文化に寛容になれるよう教育分野などで努力して欲しい。
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