もう切りがない

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最近何をやっても「切りがない」と感じる。完璧を目指しているわけでもないのに「違う、違う」と感じるのだ。これって何?一番感じるのは庭仕事。もう庭も無くなり数年間も庭らしい庭には佇んだこともない。もう諦めている。庭仕事の基本的な作業は草取りだが、これこそ切りがない。取っても採っても草の生命力には及ばない。次から次へと芽が出てくる。草を上手く利用できれば、草ですら庭の彩になるはず。でも我々の頭では草は概ねが「雑草」に分類されてしまう。雑草でも色が綺麗なら抜かないでおけば良い。上手く利用すれば緑豊かな庭の設計図が出来る。そうすれば切りがなくとはならないのでは?そうかも・・・

庭についてはそうだが、日々の暮らしではどうか?自分はもう早く自分の生涯のケリをつけたいと思っている。人生はいつか終わる。放っておいても命には壽命があるので自然に滅びてゆく。それが分り切っているのでもうケリをつけてあの世へ旅立ちたいのだ。しかしケリをつけるのは自分ではなく神のみぞ知る。

庭に咲いた季節の花を花瓶に生け、水彩画を良く描いたが、絵を描いていても切りがなく、いつ止めるかを測りかねて時間切れで終わらせることが多かった。誰の為に描くのではなかったので、気が抜けたような絵になった。それでも逆に、余白が生きて良い絵になったようだ。完璧の息苦しさのない空気一杯の絵になったのかも・・・切りがなくて良いのだ。

熟練した職人が丹精こめて打ち上げる「雪村そば」

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