思い出の食器の話。仕事の帰り道、立ち寄った田舎のあの店ではバーゲンセールで、そこで綺麗な模様の直径約25センチの大きな皿を見つけた。自分の為ではなく、お客を予想して恐らく気に入って買い求めたのだと思う。1枚ずつ違う模様だが、かえってそれが楽しそうと思ったので数枚買った。確かに直径約90センチの丸テーブルに4~5枚並べるとテーブルが華やいだ。小皿の下に置いてもアクセントになり食卓を彩った。
京都に行った時、田舎の小さな骨董品店で見つけた小皿はかなりの数ある。青・青磁の模様が小皿の画面一杯に描いてあり、筆使いも鮮やかな小皿。あちこちで買い求めた小皿。醤油を入れたり・お摘み入れ等に使った。小さくてもテーブルの上にあれば客人の話の種になったし、友達とそんな思い出を語るのも楽しかった。たかが小皿と言うなかれ。綺麗な模様の小皿は壁掛け用のワイヤーを取り付け壁に飾った。そんな飾りも話しの種になった。些細な事でも楽しめた。
朝早く神宮前の東郷神社での朝市にも出かけ、骨董品を見て回った。大した物ではなかったが思い出にはなった。
世田谷のボロ市にも出かけた。雑踏が苦手だったが、この日だけは人々に紛れてあちこち歩き回った。
後はデパートのセールで洋食器のバーゲンでティ―カップ、ケーキ皿等にも目を奪われた。和食器も色や模様が綺麗だと臆せず買った。ワイングラスもかなり集まった。数年前に見つけて買いおいたイギリス18Cのキャビネットがあったから、そこに居れて居間に飾った。小さな贅沢である。友達の顔を目に浮かべながら、次のランチパーティを想像した。その時代は私にとってもバブル時代で、通訳の仕事でかなり収入があったので色々買った。贅沢であったかも知れないがそんなこともあったなと今では楽しい思い出である。
英国時代に買い日本に持ち帰った食器もある。ある骨董市で銀製のティースプンを1ダース。ウェッジウッドの本社が近かったので、そこのセールで買った物は皆思い出一杯の食器。ほんの微かな傷ものでも安く買えた。今の殺風景な施設暮らしでも使える時は使っている。若き頃の思い出一杯の小皿で頂く一片のケーキの味は朝の目覚めに最適。この皿は入居するとき没収されそうになったが、必死で取り返した。後はコーヒーカップ。これだけは大切に死ぬまで身近に置きたい。いつかゆっくりと綺麗なテーブルでこのカップで素敵な紅茶と、このケーキ皿で美味しいケーキを頂くのが今の夢。
コーンウォールを旅した時に立ち寄った港町の小さな骨董店でそこの石(ムーンスト―ン)をあしらった指輪も思い出深い。銀製の台にはめ込まれた乳白色の石はいつまでも懐かしい。
バーナード・リーチの工房を訪ねた時、買い求めた小皿。コーンウォールの空と、海と大地の色が映し出されていて、何時見てもその旅が蘇り私を慰めてくれたが、うっかりして落として壊してしまった。

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