もう失われてしまったもの

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   2月も半ばになると、あちこち梅の花が咲き始める。あそこのお寺の入口の白梅は良い香りを放っているだろう。あの角のお宅の紅梅は可愛い花を咲かせているに違いない。大きな梅の老木を見ながらお庭の前を通るのはこの時期のお楽しみ。でもあんな大木は剪定が難しいに違いない。梅の実が成れば成るほど大変だということは、梅の大木を抱えていた友達の話から良く覚えている。彼女は梅が実ると実をもいで丁寧に洗い日に干して乾かし、晴れた日には庭に並べて干し続ける。充分に干した梅に、あら塩をかぶせ壺に積めて蓋をして冷暗所に置く。暫く塩漬けのまま数年放置する。美味しい自家性の梅干しが出来る。彼女の自慢の梅干しである。天国の彼女に、梅の花の香りが届いていますように・・・こんな日には思いだす。

   今頃は小さなわが庭一面に「春ニレ=Star of Bethlehem」が咲き乱れているだろう。咽るような甘い香りが庭中に満ちる。放っておくとノビルのような球根が増えすぎて、他の花に浸食してしまうので随分と処分した。しかしほとんど雑草扱いされているこの花を私は出来るだけ庭に植えたままにした。だが今ではもうどこにも見当たらない。この花を愛する人ももういなくなってしまったのかも・・・絶滅危惧種になるかも・・・

   庭の真中に植えられていた杏子の大木、約30年前に家を新築する際に以前の庭に植えられていた杏子の小木を新築の庭に植えたのが数十年経って二階のベランダを超えるほど大きく育ってしまった。

自分の家を「アプリコット・ハウス」と密かに名付けた。春には若葉がエメラルド色に輝き、そのうち蕾が膨らみ花が咲きと、薄桃色の花は桜と桃との掛け合わせのようで木の枝一面に咲く花は通りすがりの人々の目を喜ばせた。特に月光を浴びた杏子の花の美しさは夢のようであった。夕方の散歩から戻り庭先の椅子に座り杏子の花見と洒落こんだ。遠い若いころの思い出である。この木も2階のベランダから乗り換え自分で枝に跨り、鋸(のこぎり)をギコギコ引いて剪定した。梅雨の間に枝の間にオレンジ・杏子色に実った果実を竹の棒で叩き落とし補注網に受け取った。まだ硬い実は出窓に置き追熟させた。皮ごと頂くのは美味しかった。東京の店先では見当たらない。生の杏子は皮が薄いので痛みやすいので東京の店先には出さないとか・・・私は東京ではレア物を一人占めしていたのだ。いつしか自分の足腰が弱くなり枝の剪定を諦め、植木屋さんに頼み愛する大木を半分にまで切った。この木は我が家のお守りだから切るなと言われたがある日「えいやっと」ばかりで切ってしまった。もう幻でしかない杏子の樹は心の中でエメラルド色の若葉を揺らしさらさらと明るい音を立てている。

   もう見たくても見られないものは?サフランの花。サフランに付いては以前にも書いている。その他バジル・タイム・ミント等。夏には欠かせないハーブ達は私の大事な友達のよう・・・ハーブの若葉に虫がつき虫が幼虫になり蛹になり、ある日羽化して飛び立ってゆく。そんな様子を見るのも楽しかった。そんな楽しい庭ももうこの世にはない。

3畳ほどの広さであったが、春先には貝母の花が庭の半日陰に思い出したように咲いた。不思議な色の花である。

クロッカスもいつの間に金色、紫、白の花を開いた。上手く行けばスノードロップも咲いた。

鈴蘭も繁殖していた。5月には白い鈴のような花を咲かせた。鈴蘭の花を摘みブーケにし部屋に飾れば初夏の香りが部屋に満ちた。こんな日は単純に1日中嬉しかった。しかし既に我が家の庭はもう過去形。

今、施設暮らしで、テレビ番組の『趣味の園芸』がお気に入り。そこで今月の花、今月の土、手入れ方法等の講座を聞き、見るのが楽しみである。どんな土があの花には合うか?どのような鉢に植えるのが適切か?土いじりが懐かしい。手が泥だらけになるのは潔しとはしなかったが。今となっては和らかな土の感触・匂いもが懐かしい。ここ、自然から遠く離されている施設では、季節の巡りは想像の域を出ない。しかしその想像の世界で生きなければならない自分はいつの間にか想像の庭遊びをするようになっている。

年を取り身体が動かせなくなると、自然の空気に包まれたくなる。自然の1部に紛れ込めるのは心地良い。季節を感じられるのは有難い。季節の草花に囲まれるのは恐らく人間なら誰でも嬉しく、安心・安全なんだと思う。

料理もしなくなり、一番好きな場所であった台所という空間とも疎遠になってしまっている。自分一人のためだけに料理をすることがなくなり、既成の施設料理を頂いて過ごす日々。ここの料理は例外なく温かいのでそれだけでも嬉しい。昔河童橋界隈で買い揃えた台所器具ももう捨てた。あんなに拘ってそろえたのに・・・友達の為に献立を考え、メニューを考え、食材を選び買い出しに行った日ももう随分と昔の事。こうした楽しい日々はもう帰らない。もう帰らない日々は思い出すしかないのだ。

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