季節感について

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   今日は「大寒」

一年中で一番寒い日。一昔前(約50年前)は、庭先のバケツの水が凍っていました。うっすら氷が張ると何となくワクワクしたのを覚えています。学校まで歩いていく途中、吐く息が白かったのも懐かしい思い出。こうした季節の自然現象を目にすることが出来、手で触れることが出来た時代はもう帰ってこないのでしょうか?温暖化がこのまま続いて行くならば、もう後戻りはないでしょう?よほど我々が努力をしないと温暖化は防ぎようがありません。これからも今年のロスや広島、甲府のような大規模な森林火災は防げないでしょう。この年(80近く)になると、無責任かもしれませんが、もう諦めるしかなくなります。我々日本人は太古の昔から四季の営みに寄り添って生活してきました。四季の優しい、穏やかな変化にどれほど慰められてきたことか?清少納言の『枕の草紙』の文章「春は曙・・・」は我々のDNAに刻み込まれています。ですから「これからは夏と冬だけの2季だけになるらしい」などと言う気象庁の宣告・予告を否定したくなります。やはり四季が無くなることは「日本の文化の寛容な多様性」を損なうことになるのではないかと危惧しています。

   俳句を作る際にも俳句の軸となる季語がもう存在しなくなっていることがあるんです。植物然り。行事然り。風景然り。電気製品・ハイテクにとって変わった近代生活では見られなくなった物・事が沢山あるんです。ある程度は仕方ないとしても総てが近代化してしまうのは私達の心の拠り所を奪ってしまうのでは?と思います。

冬には水が冷たいのは極自然なことです。その冷たさの味わいも大切です。夏には夕方の夕涼みがありましたが、今ではエアコンをかけて微妙な温度差を味わう余裕がなくなっているようです。

   ここである短編映画をご紹介します。『日々是好日』(https://www.nichinichimovie.jp/)樹木希林・黒木華さん主演です。日本の文化・風土がきめ細かく描かれています。お茶の稽古を通してお茶の心を分かってゆく若い2人の女学生の姿が、清々しく描かれており、雨の音・降り方にも、雨に打たれる笹の葉の揺れにもそれらを愛した日本人の心の共鳴力にも自然の包容力を思います。

「自然」の本来の意味は「」自ずからある」という意味で仏教の自然観でもあるようです。太古のギリシにも同じ概念があるようです。ハイテクに依存しないあるがままの物の姿・様子とでも言いましょうか?

そろそろ『節分

あちこちの庭に梅の花が咲き始めています。梅の香は清々しく冬の間部屋に籠った冬の匂いを解き放ってくれます。「鬼は外、福は内」と豆を撒き春を呼び寄せます。春先の青空を背景に咲く梅の花は春のミツバチを呼んでいるよう。

2月には西洋から伝わりすっかり日本に馴染んだ『バレンタイン』があり、主に都市部ではチョコレート合戦が始まります。

3月には『ひな祭り』があり春に咲く桃の花、菜の花を生けます。3月には仏さまの誕生日『花まつり』、5月には『子供の日』この日には花菖蒲を飾り鯉のぼりを飾り、7月には『七夕』笹の枝に願い事を書いた短冊を飾ります。暑い夏には『お盆』が,各地方には秋祀りがあり、9月には『お月見』ススキ、萩、女郎花等、秋の7草を飾り月見団子を等を満月にお供えします。11月には『ハローウイン』南瓜で作ったお菓子を食べたり作ったり、12月には『クリスマス』クリスマスケーキを頂き『大晦日』の夜には年越し蕎麦を頂きと四季折々の行事があります。それぞれが四季の移り行く自然を讃え祝います。季節の花を飾り、季節の食材で細やかな祝い膳を各家で作ります。こうした祝祭は自然の恵みを受けている我々が自然に感謝する日なのです。

季節感のない地方、国もありますが、さぞ殺風景ではないでしょうか?我々日本人は自然の光、影の揺らぎを大切に、季節毎の花々に囲まれ、日本に生を受けた事を有難く感謝しながら生きています。

   穏やかな「自然」、破壊的な「自然」の両方の顔を持つ日本ですが、我々は自然の穏やかさ・治癒力を信じて生きて行きます。

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