長生きは良い?最近ニュースで「116歳のお年寄りが世界1の長寿で亡くなった」というのがあった。100を超える高齢者はそれほど珍しくはなくなっている。だが、ふと考える。果たして本人は嬉しいのか?その方に直接聞いてみなければ分からないので、勝手に感情移入して推測するしかない。恐らくでしかないが、感覚自体が我々と違うから正確なことは分からない。あくまで私だったら「やっとお迎えに来てくれた」と安堵するに違いない。
この施設でも先日106歳のお年寄りが亡くなられた。夜2時頃トイレにお一人で行かれて、朝介護員さんが起こしに行った所、既にお亡くなりになっていたそう。最後まで気丈な方だった。こんな方は珍しい。普段は歩行器を使い、施設の中をゆっくり歩かれていた。実に静かな方だった。言葉を交わしたことはなかったが、穏やかな眼差しはここでの生活に充足なさっておられたご様子。
来年80になろうとしている自分はもう既に毎日「充分退屈」なのだ。「退屈」を嫌いな私は懸命に文章を書いて暇つぶししている。少なくとも文章を書いている時間は心が立っている。まだ心まで寝てしまいたくない。最近は何をしても、「あー又か!」総てが二番煎じ。「決してワクワクしない。少しも感動なんてない。新しさなんてもう自分にはありっこない。これが年を取るということか?」って言い聞かせている。「詫び、錆」なんてものではない。心が躍らない。
もし誰かが車椅子を押して外に連れていってくれたら新しい感覚に呼び覚まされて、気持ちは幾分変わるかもしれない。多分そうなんだが現状はそれを許さない。この世間から隔離された施設にいる以上は叶わない。自分の現状が許してくれないのなら、暫くは状況が変わるまで待つしかない。幾分の自由が許されるようになるまでは我慢に耐えよう。その位の忍耐力はまだあるから。そんな小さな希望があるからまだあの世へは行きたくはないのだ。
だが他の入居者さん達の多くは、自分の譫妄に囚われている。お互いに自分だけの譫妄に囚われている高齢者達は他人との交流もままならず、辛いだろうと想像する。
先日も幼友達と話していて「長生きが良い」時代ではなくなっている」「考え方を変えないといけない時代ね」と話合った。医学が進歩して、いくらでも寿命を伸ばせるようになったら、かえって食糧難や病院不足になるし、介護施設不足、介護員不足、健康保険の財源も枯渇したり等、社会構造を変えなければ次世代は生きてゆけなくなる。年々生き辛くなってゆくのは目に見えている。生きていて楽しい、嬉しいなら命を繋ごう。
以前お世話になった施設の殆どの高齢者達は「必ずしも長寿は良きもの」とは思わなくなっている。皆が口を揃えて「もう飽き飽きしたから。早くお迎えに来てほしいの」と言っていたっけ。
「楽しい老後」というブログを書いていたが、この所「老いる」ことは決して楽しくなんてありえないと思うようになってしまった。体力、気力もなくなる中、友達と話す機会が一番嬉しい。コロナ禍で立ち上げたZoomだが週末に皆の顔を見て四方山話をするのが嬉しく楽しい。年とったら、孤立しないよう心して友達と話をして元気でいよう。それだけしか今の自分には分からない。ありもしない「楽しい老後」はもう閉じるのが良い。今残っているのは若い頃の思い出だけだから。


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